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書評

マイケル・ゴールマン著『緑の帝国 世界銀行とグリーン・ネオリベラリズム』

山口富子監訳、京都大学学術出版会2008.2.刊行

『東洋経済』2008.5.3, 174頁.

 

 

 「市場第一主義」の投資家と「環境保護主義」の運動家。この二人を実務的に組み合わるとどうなるか。「グリーン(環境)」と「ネオリベラル(民営化)」を混ぜ合わせた「グリーン・ネオリベラリズム」――そんな新しい開発レジームが、現代の世界銀行を動かしはじめている。本書はそのパラドキシカルな実態に、鋭いメスを入れた力作だ。

 九〇年代の世界銀行は、「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれるネオリベ政策を採用し、多くの途上国で統治の危機を招いた。その後、世銀は「ポスト・ワシントン・コンセンサス」と呼ばれる温和な方針へと転換するものの、「ネオリベ政策」をやめたわけではない。ネオリベ政策は、いまや環境政策とパッケージになっている。

例えば、先進諸国に本部を置く国際自然保護団体が、ある国で「生物の多様性が危機に瀕している」と叫んだとしよう。すると世銀は同団体と手を結び、当該国政府の資源濫用を防ぐためには、公有の自然資源を基盤とした産業を多国籍企業に競売すべきだと主張する。途上国の自然環境を制御するためには、当該国政府の権力よりも、多国籍企業の支配にゆだねたほうがよいというわけである。

 これは大きな逆説だ。世銀を支持するエリート学者たちは、低開発で無駄の多い状態よりも、高開発で無駄のない状態のほうが、環境にやさしいと考える。ところがこの発想は、先進国が開発を推進するための、糸口を与えてしまうことになる。

 「すべての人に水を(Water for all)」という世銀のキャンペーンも同様である。きれいで安全な水を、みんなが飲める社会。そんな社会を実現しようと思ったら、私たちは途上国の公共サービスを民営化(つまり多国籍企業化)して拡充しなければならないだろう。そうでないと途上国政府は、過度の負担に瀕してしまう。

実際、途上国は、水や医療や電気などの公共財を、ベクテルやヴィヴェンディといった西欧の大企業に売却してきた。売却することによって初めて、海外の銀行や国際機関から融資を受けてきた。

エコロジカルな開発のために、先進国のネオリベ統治術を受け入れる。著者はこの権力作用を「エコ統治性」と呼び、途上国の国家運営が、ますますハイブリッド化していく様子を抉り出している。

 では途上国は、世銀のネオリベ支配から逃れることができるのか。「南」の国政選挙では、世銀の権力がますます政治問題化している。世銀はいまや、途上国のナショナルな国家統治術を揺るがす巨大権力と化している。その作用に注視が必要だ。

 

橋本努(北海道大准教授)